つぶやき 2018.05.16
目の前に川があり泳いだ

武蔵野村



江戸時代中期には、玉川上水から分かれた、沢山の堺(境)新田分水が作られ飲料用などの生活用水や農業用水に使われた記録があります。



当社の東西の側道にも昭和30年ごろまではその小川があり、となり組の一大行事として年に一度は川さらいがあり、普段は洗濯したり、なんと泳いだりしました。



公団通りと亜細亜大学通りを結ぶ境五丁目の「花の通学路」もその分水の名残だそうです。

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