つぶやき 2012.01.25
「まずいものを食べる」が美味しい?

私は中部大学教授の武田邦彦さんのブログを読んでいます

この方は多方面からいろいろな意見がありますが、少なくとも政府の言いなりではないと思います。

最近のブログから感じたことを記します。



この記事は一言で言うと

吾唯足知(「吾」われ、「唯」ただ、「足る」たる、「知」をしる) でしょうか。



もし仮に、住むところがあり家賃やローンが無く、食費もかからず衣服も好きなように作れるとしたら、あなたは毎日何をして暮らしますか? 最初は寝て暮らすかもしれませんが、何をしても自由な人生が始まると、早晩自分の生きている使命を感じ、それに向けて自由に活動し始めるのではないでしょうか。



今の自分に感謝し、ただ利便性を求めるのだけでなく、本当に必要なものはなにか、幸せはなにか一度立ち止まり、あるいはスローライフして回りを見回してみる。

そうすると埋もれていた「幸せ」が見えてくるようです。



大震災や原発事故から、武田教授はそこを言いたいのだと思います。





<ここから1月23日ブログ転載>



幸福な人生  「まずいものを食べる」という趣味私のブログに「私の趣味は、まずいものを食べること」と書いてあります。確かに、まずいものというのは結構、美味しいもので、それだけで趣味になりうるとは思います。



でも、それは私の幸福感というのに深く関係しています。私のエッセイの一つに「愛用品の五原則」というのがありますが、それが10年ほど前に高等学校の教科書に採用されました。私にとっては生涯、忘れ得ぬほど名誉なことなのですが、そこに私が書いたことは、

「人生を幸福に生きるためには、節約が一番だ。贅沢な生活で幸福になることはない」ということで、「その一つに愛用品に囲まれたしっとりとした毎日」であったのです。

すでに、こんなことは古今東西の偉人が何度も言っていることで、わたしのオリジナルでもなんでもありません。お釈迦様は「中庸がよい」といわれましたし、イエス様は「お金持ちより貧乏の方が幸福になる」と言われています。それを私は科学者なので、少し具体的に考えています。



人という生物は「今の状態で満足できれば幸福」という性質を持っています。たとえば今から1000年ほど前の平安時代には、水洗トイレはない、瞬間湯沸かし器もないのですから、汚い便所に座ったり、あかぎれの切れた手をさすりながら冷たい水で洗濯をしたものです。

これに比べると現在はウオッシュレットつきの水洗トイレや蛇口をひねるだけでお湯が出てくる生活ですから、平安時代は悲惨な生活のように思います。でも、その時代、数年ぶりに豊作になって稲穂が頭を垂れている田んぼの横で、草むらに仰向けになってそよ風に吹かれている彼は「ああ、俺はなんて幸福なんだろう!」と思ったことでしょう。

また、今から1000年後の人たちは私たちの生活を歴史の時間に学んで、「なんてひどい生活をしていたのだ!これでは奴隷のようじゃないか!」と驚くことは間違いありません。人間は、生まれてからの平均、ここ1ヶ月の平均が「平均」になり、それ以上なら満足、それ以下なら不幸と思うものです。

金持ちというのは得てして不機嫌で怒りっぽいのですが、それは当然でもあります。たとえば「美味しいものを食べたい」と少しでも美味しいお寿司屋さんを探すと、最初は1000円、次は1500円となり、それが1万円ぐらいになると、次のお寿司屋さんもほとんど差がないほどの味になります。つまり、「美味しいものを求めていくと、人間の舌はその差を感じなくなる」ので不満がつのります。



さらに、加速の良い素晴らしい車を買うことができるようになると、いつも前の車が遅いと言って文句を言っていなければなりません。それもたちの悪いことに前の遅い一台を抜くと、さらにまた前に遅いのがいるではないか!!

私のような車好きの人間は、エンジンの音も聞こえない、排気ガスのイヤな臭いもかげないなら車に乗らずに、電車で行きます。車の良いところは、ガタガタ、ゴトゴト、時々、故障して手を焼かすことだからです。

毎日、美味しいものは食べられず、車に乗るとイライラ、何もトラブルのない毎日・・・これがお金持ちの生活ですから、不機嫌なのは当たり前のことです。

ある時、東京の大学の学食に行ったときのことです。大学の中に食堂が5つほどあるのですが、その一つに「貧乏学生用の食堂」がありました。320円でたらふく食べ、カロリーも十分なのですが、なにせメニューが特殊です。



「アブラ揚げ」と言ったらよいのでしょうか、見かけは鶏の唐揚げのようなものなのですが、食べてみると、ころもの下は白い油の固まりなのです。つまり、「白い固まった油」を「液体の油」であげた唐揚げ??です。そして、慎重に白いアブラの中を探すと微細な1ミリぐらいの肉の痕跡を見つけることができます。なるほど、ちょっぴりのタンパク質と、大量の脂肪・・・これなら貧乏学生でもカロリーを取ることができるという計算です。

学生と一緒にアブラ揚げ定食(正しい名前はC定食)を食べたら、その後は極楽です。650円のサラリーマン定食、1000円のデラックス夕食、そしてホテルで3000円の食事をする度に、極楽のように美味しい味を楽しめます。

そしてまた1週間後、私は学食に行き、油揚げをほおばります。そこでまた私の舌をリセットするのです。このような私の行動パターンは食事だけではありません。重たい荷物を持っておっちらと階段を上ったり、寒い日に雨に濡れたり、「不幸なこと」は私にとってすべては「幸福の準備」でもあるのです。

「幸福とは不幸なことである」、「金持ちとは貧乏のことである」、「健康とは病気のことである」・・・それらはすべて真実なのでしょう。

(平成24年1月23日) 転載ここまで。

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