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社長ブログ 2009.12.09
ジッセンジャー 実践者

このような実践者でありたい

座禅も説教もしない、良寛さんの兄弟子和尚       「すべてを味方 すべてが味方」小林正観さん著より

ある年の正月、たまたま縁があって、玉島(現在の倉敷市)の円通寺を訪れることになりました。円通寺は新幹線の新倉敷駅から四キロほどのところにある曹洞宗(そうとうしゅう)禅宗のお寺で、新潟出身の良寛さんがここで修行をしたことで有名です。

現在、この円通寺で住職をしておられるのは、仁保哲明さんという方です。お寺を訪れたとき、この方の笑顔が素晴らしいので私は魅了されました。良寛さんもこのような優しい笑顔の持ち主であったかもしれないと思いました。

良寛さんがこの寺にいたとき、兄弟子に仙桂(せんけい)和尚という方がおられたそうです。あまり詳しく記録が残っている方ではないのですが、良寛さんには大変に印象的な人物だったようです。

仙桂和尚は三十年の間、良寛さんの師でもある国仙和尚のもとで修行をしながら、一度も座禅を組んだことも、檀家の人たちに仏法上のお説教をしたこともないという大変珍しい僧侶でした。

この和尚は典座(てんざ)という食事の世話をする係で、三十年間、来る日も来る日も黙々と畑をたがやして野菜を育て、食事をつくり続けていたといいます。それだけをやり続けた僧侶でした。

ふたりの師である国仙和尚は、仙桂さんに対し、「もっと違う活動をしろ」と言うようなこともなく温かい目で見守ったといいます。この仙桂和尚の生き方に良寛さんはかなり影響を受けたらしいのです。

後に仙桂和尚のことを書いた記述の中で、「この仙桂和尚こそ、真の道者である」と良寛さんは書き記しています。ただ、「自分は仙桂和尚と共に過ごしているときに、この人のすごさ、深さがわからなかった、未熟だった」ということも書いています。

後に生まれ故郷の出雲崎に帰った良寛さんは、頼まれれば浄土宗の念仏である南無阿弥陀仏も日蓮宗のお題目である南無妙法蓮華経も唱えたそうです。

良寛さんの学んだ円通寺は曹洞宗のお寺ですが、宗派などということはどうでもよいことでした。お経をあげないことも仏教上の説話や説法をしないことも多々ありました。良寛さんにとっての精神的な師匠というのは、もしかしたら、この兄弟子である仙桂和尚であったかもしれません。

 仙桂和尚は穏やかな人柄で、自分が人の上に立って何か立派なことを言うわけではなく、ひたすら、行として野菜をつくり続けた人でした。否、行として、ということさえも自覚はしていなかったかもしれません。

自分の生きざまは、ただひたすら野菜をつくり続けることであり、それをみんなによろこんで食べてもらうことである、というふうに思い定めていたとしか思えないのです。

良寛さんの目に映った仙桂和尚とは、「実践の人」であったということにほかなりません。

心がスッーと晴れる〝打ちでの小づち〟⑤ 「心の扉を開く鍵」

円通寺の住職である仁保さんは、本当に穏やかで安らげる人でした。世の中にこんなに素敵な笑顔の人がいるのか、と思うほどでした。

以前に、仁保住職のもとに、自分の子どもが不登校だから治してもらえないかという相談をもち込んだ人がいたそうです。

仁保住職はこのように答えました。

「私にはそれを解決する力はありません。ただ、毎日早朝に座禅を組んでいるので、それに参加して、何か一緒に考えることはかまいませんよ」

そのお父さんは、不登校の子どもを連れて、毎日車で通うことにしました。

そして半年も経ったときに、仁保住職はそのお父さんからこのような話を聞かされたそうです。

「毎日送り迎えで二時間ほど一緒に車に乗っているうちに、息子とたくさん話をするようになりました。最初は口数が少なかった息子も、いろいろなことを話してくれるようになりました。本来の明るさを取り戻し、不登校の問題も解決しました。大変ありがとうございました」

「私にはそれを解決するような力はありません」と言える仁保住職の柔らかさ、謙虚さ、温かさというものは、仙桂和尚や良寛さんと共に円通寺に受け継がれている思想なのかもしれません。

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