電車の中などで、お年寄りなどに席を譲る場合があります。
それはその人の為と思って行動をしている人がほとんどかもしれません。
その人の為と思って譲った人は、譲らない人に対して、私なら譲るのに譲らないのはけしからん
と考えてしまいます。
ところが、席を譲るのは自分の為と思うと。
譲らない人をみても何も感じません。
つまり、人はどうでも自分がそうするだけ、人は変えられないのです。
自分の為とは
譲ってあげて喜ばれること、そのことが自分自身が嬉しいのです、その人の為ではないのです。
私は〇〇しているのに、△△は~しない、 ~ねばならない・~するべきとはならないのです。
「のに」「ねば」「べき」はいらないのかもしれません
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ありがとうございます