吾唯足知をネットサーフしていたら、こんな文章を見つけました。
こんな時がそろそろ来るかもしれません。
その時こそ人が問われるときです
知足(足るを知る)
へえ~・・・お前さんたち、精進しとるかの?
今日の言葉は「知足」。「ちそく」と読んでもよいが、「たるをしる」と読むのが本当じゃ。漢文だと「レ」が付くからの。
この言葉は、お釈迦さんの最後の説法と言われている『遺教経』に説かれておる。京都の竜安寺には、『吾唯知足』(われただたるをしる)と刻まれた有名なつくばいもあるのぉ。
言っておくが、これは「不足気味でもあきらめろ」とか、「倹約しなさい」という意味ではないぞ、ある時、長年お寺の住職をされておられた老僧が引退なさることになった、その慰労会の席上でこういうお話をされたんじゃ。
「いやぁ、戦後は大変でねぇ、預金は封鎖、極端なインフレで、お寺の金なんて、全部かき集めても200円、丁度酒2升分しかなかった、そこで、さあこれから再出発だってんで檀家全員で飲んじゃったんだよ。
ところが、スッカラカンになっちまったら、なんだか妙にスッキリして、皆も不思議に満ち足りた思いだった・・・・」
聖書にも似た話があって、マタイ伝の14章に「イエス様がパン5つと魚2匹を分けて5000人の人たちと食べた。従う者は皆満ち足りた気分になった。」という記述がある。
これを奇蹟と見ず、これこそが知足といえるんじゃ。
老僧様のお話も、あるはずのものをあてにするのではなく、一切を無にして背水の陣をひいたら不思議に積極的な考え方になれたとのこと。
知足とは、「あるものでがまんする」という意味ではなく「積極的に与えられた物、ある物の中に喜びを見いだす」ことなんじゃ。
さて、今の時代、なんでもある、何でも買える世の中と言われておるが、
満たされておることに感謝しておるかの?
お前さんが毎日食っておる飯も、お前さん1人の力で用意はできまい、野菜を育てた人がいて、魚は捕ってきた人がいて、肉も育てるだけじゃなく、さばいて加工して調理した人がいて、初めてそこにあるのじゃ。
その事実をちゃんと認識しなさい。
そして感謝の念があれば、自然に「分をわきまえる」こともできるはずじゃ。
皆、もっともっと謙虚にならにゃぁいかん。お前さんは、お前さん一人の力だけで生きておるわけではないんじゃ。
モノばかりたくさん持ってても、心が貧しけりゃあ、それは不幸というもんじゃよ。
それでは、またおいでなさい、ひゃっひゃっひゃっ
隠寮さんのブログより
ありがとうございます
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