どんな面も「個性」や「特徴」
エジソンは耳が不自由でした。
成人になった頃には、音がほとんど聞こえなくなっています。
そして、学校教育をほとんど受けていません。
一般的にこれらのことは、発明家としてやっていく上での「弱点」や「不幸なこと」と捉えることが多いでしょう。
しかし、エジソンは、それらのことを「弱点」とか「不幸なこと」ではなく、自分の「個性」であり「特徴」であると捉えていました。
耳が不自由であるからこそ、電話機をよく聞こえるものにできたし、音や声をしまっておく蓄音機の発明ができた。
研究や読書にも 集中できたと。
また、学校教育を受けていないからこそ、“物理や数学を正式に学んだ人”ならば、常識で判断して試さないようなことでも、一つ一つ試すことができたと語っています。
もちろん、うまくいかないことの方がはるかに多かったのですが、あらゆることを試し続けた結果、何千回に1回、何万回に1回、誰も考えつかなかったような「発明」や「発見」をすることができました。
ちなみにエジソンは、1万回うまくいかないことが続いても、それを「失敗」とは捉えず、「うまくいかない方法を1万回も発見した」と捉えています。
エジソンが自分のどんな面も「個性」や「特徴」として捉えることができたのは、息子のどんな面も欠点や弱点として捉えず、その子らしさとして受け止め続けた母親の存在があったからでしょう。
【小林正観著;『天才たちの共通項』より】